trigger finger





 出来る筈がないと、頭の片隅では分かっていた。
 けれどもそうしないではいられないとも、分かっていたのだ。


「ミスター・ヘインズ」
 マルボロ3から降り立ったポリィはヒールの音をカツン、と響かせ、同じく愛機から降り立ったクラウンの前に仁王立ちした。“猟犬”との綽名を持つブッチ・ヘインズだ。
 彼はポリィに視線を遣し、そしてそれはそのまま通り過ぎる。
 帽子の下からのぞく表情はいつもどおりで揺らぎもしない。
 視線どころかそのまま立ち去ろうとした彼を、ポリィは慌てて呼び止めた。
「お待ちなさい、ミスター・ヘインズ!」
「……何の用だ」
 その声音がいささかうんざりしているように聞こえたのは、この男の常であるため彼女は気にしない。むしろうんざりしたいのはこちらの方なのだ。
「貴方、自分の役目を分かっていて? このままでは職務怠慢と報告させて頂くことになるのだけれど」
 今回のレースではブッチ・ヘインズはクラウンであり、ユニオンのエージェントでもある。そのナビゲーターを任されたポリィ共々、課せられた役目というものがある。
 チーム・ホイットニーヴィルそのものが、ユニオンの指令でレースに参加しているのだ。
 だから、ポリィのすべきことはナビゲーターだけではない。
 だというのに。
「勝手にしろ」
「は?」
 短く吐き捨てる――どころか、面倒くさそうに呟く言葉だけを置き去りに、ブッチは再び歩を進めている。一瞬の自失から素早く立ち直り、ポリィは不本意ながらも相棒となってしまった男に対して指を突きつけた。
「勝手にしろ、ですって? 私だって出来ることならそうさせて頂きたいのは山々ですけれど!」
 少しはこちらの事情も考えろというのだ。優秀なシミュラクラとしてユニオン内での地位を築いてきたというのに、ここにきてこんな男に振り回されるなど、堪ったものではない。
「いいこと、ミスター・ヘインズ。ユニオンが貴方に望むのはただ馬鹿みたいにレースで優勝することではなく――」
「……お前は何も分かっていない」
 ポリィの言葉をさえぎり、ブッチがやはり呟くように言った。
 怒りの色はなく、いつものように面倒くさそうな声色で。
「これはレースだ。そして俺はクラウンだ」
 だというのに、こんな時だけまっすぐにこちらを見据えて。
「レースですべきことは何だ」
 言い捨て、何事もなかったかのようにまた歩を進める。今しがた、鋭くポリィを見つめたことなどなかったかのように。疑問を投げかけるだけ投げかけておいて。
「……ああ、もう!」
 苛立ち紛れにポリィは吐き捨てた。
「後で悔やんでも、知りませんわよ!」
 無言の背中にその言葉が跳ね返されるようで、一層腹が立った。


「――レースですべきこと、ではないわね、これは」
「やっと、分かったのか」
 正面から向かい合い、ポリィは静かにブッチと対峙していた。
 ブッチは、笑っていた。
 珍しいと、そう考えてから、そもそもこうやって正面から顔をあわせたことなど数えるほどもないことに思い至る。
 だからもしかしたら、ポリィが知らないどこかで、彼は笑っていたのかもしれない。
 彼女が見ていたのは拒絶するような背中だけだった。
「でも、私がしていたのはレースではないの、残念ながら」
「そうか。それは……残念だ」
 満身創痍で、それでも彼は笑う。今までポリィが見たことのない表情で。
「貴方が残念がるようなことかしら」
「キャノンボールに参加していながらレースが出来ないのは、残念以外の何者でもないだろう」
「そう。でも今の貴方がしているのもレースではないわね?」
「ああ、だから、残念だ」
 正面から向き合い、お互いに銃口を向け合う。
 こんな場面でようやく初めて、ポリィはブッチを正面から見つめる。
 セーフティを外し、トリガーに指を掛けたまま。撃とうと思えばいつでも撃てる、そんな体勢を保って。
 こんなくだらないやりとりなんて、今すぐにでも終わらせてしまえばいい。
 ――出来る筈がないと、頭の片隅では分かっていた。けれどもそうしないではいられないとも、分かっていたのだ。だから、この指を外すことは出来ない。
 そして、銃声は、一発。




 キャノンボール、ホイットニーヴィルのコンビで。
 銃口を向け合う関係というのもツボです。


 060715