定点距離とその法則





「クラウディア管の接触、クリア。――増槽の方は?」


 制動翼に降りて作業を進めていたイーサンが、後方に声をかける。間もなくナビ席から返答があった。


「……中継ポイントまでの距離を考えるとそれほどの必要性はないと思う。それに、なるべくならスピードの方を重視したいところだわ」
「じゃ、なしってことで。その代わりタンクの方は勿論フルにしときますんで。それでいいっすか? アリスティアさん」


 今度は返答までにやや間があった。上部メンテナンスハッチを閉じて、その上に立つとナビ席に座ったアリスティアをちょうど見下ろす形となる。


「チェックリストは全てクリア。……アリス、で構わないわ」
「え、でも、少尉相手に――」


 困惑した表情のイーサンに対し、アリスティアは黒目がちな眸を笑みのかたちに持っていった。穏やかな気質そのままの、柔らかい笑み。


「私はタチアナほど規律にうるさくはないし、それに整備してもらっている人に対してあまり偉そうなことは言えないわ」
「いや、そりゃ隊長とは違うってのは…………ま、いいや。んじゃ、とにかく各種チェックは終了。到達予想時刻までは休憩ってことで」
「了解」



 整備用にせり出した足場に腰掛けると、イーサンはヴァンシップの機体を見下ろす。
 何度となく整備をしてきた機体だが、増槽なし、予備弾倉なしのチューンは初めてだ。そもそも軍用機ではあまり考えられない。それだけに、なんとなく何かが足りないような気がする。



「――そういや、さっきの話……」


 ふと思いついたような声音に、アリスティアが顔を上げた。ごく普通の少女そのままといった雰囲気に、艦外活動ということもあってか、口調に自然と気安さが混じった。


「隊長が、コスタビに礼を言ったって?」


 そしてアリスティアの方も、それを気にするでもなく頷いた。


「ええ。私もその場にいたから」
「あの隊長がねぇ。なんか意外というか想定外というか」
「タチアナは、なんというか、誤解されやすいから」


 少し寂しそうな表情でアリスティアは続ける。


「彼女は本当は優しい人なのだけれど……、あまり他人に弱いところを見せられない立場が長く続いていて。そのせいで人との間にも距離を置くようになってしまったし――もともと人一倍頑張ってしまうところもあったから、それで余計にああいう態度になってしまったのだと思うわ」



 それまでずっと一緒にいた時間を思い返しながら、アリスティアは自分の親友について口にしていく。あまり人に話したことはないが、彼女が知っている誤解されやすい親友の本当の姿。ようやく表に出てきたその姿を、解って貰いたかった。



「でも本当は、ずっとあなたたちに感謝していたと思うわ。決して歩み寄ることはしなかったけれど、それでも、彼女がいくら優秀なパイロットでも、整備をしてくれる人がいなければ空を飛ぶことは出来ないもの」
「そう言って貰えると嬉しいけどな。――ま、コスタビもなんだかんだ言って隊長とそう折り合いが悪いわけじゃないし。隊長が人一倍負けず嫌いなのは俺たちも承知してるしな」


 からかいめいたイーサンの言葉に、アリスティアがくすりと笑う。そこに込められた好意的な感情が、素直に嬉しい。


「そうね。彼女、昔から負けず嫌いだったわ」
「あ、やっぱり?」
「それで、最後には一番を取るのよ。何が何でも」
「そうでなくちゃ、うちの隊長は務まらないしな」



 一頻りの言葉の応酬の後、二人は顔を見合わせて笑った。


「さて、そろそろ時間だな。信号弾の用意は完了」
「了解。発射します」


 晧々と輝く光球が竜の牙の上空高くへ打ちあがる。この合図を見た機体がこちらへ到達するまで、もう間もなくだ。


「今回の出番はこれで最後か。――あいつらをよろしくな、アリス」


 呼ばれた名前に彼女は微笑んで――ゆっくりと頷いた。
 雲間の向こう、遥か彼方に銀白色の機体が見えてきた。




 メモ帳より再録。


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