必定の厄
厄、というのは何も大げさな物ではなく日常の片隅に転がっている物で。
「はぁ〜…………っ」
盛大に息を吐き、文机に肘をつく。
両手で顔を挟みこむようにして、もう一度溜息。
長閑な日和だ。
陰陽寮の中庭からか、ひよどりらしき小鳥の囀りが聞こえてくる。
涼やかな風が、そろそろ体温を上昇させる陽気に心地好い。
「はぁ…………」
もう何度目だか解らぬ溜息をつき、住吉清良は頭を振った。
と――
「五月蝿いぞ清良」
後ろから中年男の声と共に蹴りが降って来た。
痛々しい音を立てながら文机にまともに顔をぶつけた清良が、一拍置いて、振り返って抗議する。
「っ、何するんですかっ」
「五月蝿いと言ったぞ」
今度は拳で沈黙させられた。
どちらかといえば整った、と形容されてもいいような顔は痛みで歪められ、「女たらし」の容貌は見る影もない。
「先刻から聞いておれば…………、全く五月蝿い事この上ない。今度はなんだ?」
「今度は、ってなんですか」
理不尽な暴力の前には小さくなるしかない。
清良は気弱げな顔で訊き返した。
こうなると優男も形無しである。
「お前ときたら何時も何時もやれ何処の女が好いだの、どこぞに見目の良い姫が居るだの。しかもそれから直ぐにこうだ」
どっかりと陰陽寮の一室、板張りの床に腰を据えると中年男――陰陽師で天文得業生の安倍晴明は腕組をしながら言い放った。
同じ陰陽師だが天文生の清良にしてみれば、晴明は言わば上司にあたる。
ということで、清良とは面識も深い。事ある毎に使い走りにされたりもしているが、それは立場上やむを得ないことで別に気にすることでもない。
そんなわけで、普段なら呵呵と笑い飛ばされるところだが、余程腹に据えかねたらしい。
「どうせ何時もの事だろうが、いい加減鬱陶しいぞ。今度は何処の女に現を抜かしてた?」
「別にそんなんじゃないですよ」
「なら何だ。お前がそんな腑抜けた顔を晒すのは女絡みしか無かろうが」
何気にひどい事を言うが、清良にはそれに構っている余裕もない。
希代の陰陽師の眼光は、清良にとっては化け百足と対峙している時と何ら変わりない戦慄を齎す。
「言っただろう。世の半分は女だぞ」
「いや、ですから」
「いい女にありつきたいというならお前がいい男になってみろ。ん? 違うか?」
「いや別に違うとは言いませんが」
「なら何時までもそんな澱んだ気をしているなよ。全く、こっちの気が滅入る」
どうやらこちらの言う事を聞く耳は持たないようで、京でも高名な陰陽師は言いたい事だけを言うと、とっとと自室に戻って行ってしまった。
あとに残された清良が当惑したように再び溜息をついたのは言うまでもない。
「っていうか、別にそういう悩みとかそんなんじゃないんですけど…………」
因みに後日、陰陽寮で会った保胤に言うと、苦笑雑じりに言われた。
「まあそりゃあ、清良君のことですからねぇ」
やはりひどいことを言った後、こう付け足した。
陰陽頭に次ぐ忙しさの晴明には、只管暇を持て余している状態など分からぬものだろう、と。
「晴明さんも、どうやらここのところ忙しくて疲れているみたいですしね」
早い話がやつあたりである。
一応清良を慮って保胤はそのことを伏せておいたが。
「まあ、先生がそう言うんなら」
今一つ釈然としないものを抱える清良だったが、勿論周囲の誰一人として理解などしてくれよう筈もなかった。
住吉清良。厄年でもないのに厄続きである。暫くは世の春とも縁遠い日々が続きそうである、多分。
取り敢えずご免なさい清良君。別に嫌いじゃないですが。
実はよくよく考えてみると彼はこの話の中では若手なんだよな、と思い。
いやまあ例の二人はまだ十歳前後だったりしますが道満さんとか加えると。
で、若輩者の役どころといったらこうだよな、ってことで清良君・不幸編。
因みに梨花さんの話に触れさせようかと思ったんですが、出演するまでやめにします。
そんなわけで、そーしさん、梨花さん書いて下さい。お願いします。
02/03/14 初書