縁涼み
「暑いな」
「ですねぇ」
玲瓏たる鈴の音にも似た涼やかな声音に、のんびりとした男の声が続く。じりじりと鳴き続ける蝉の声が、木々の間から陽光とともに降ってくる。
草木生い茂る樹木の間に佇む草庵。伸びさかる木々の葉が影を落とすが、熱せられた空気までは遮りようがない。時折吹き抜ける風が涼を運ぶが、それ以外はおしなべて夏の暑さが漂っていた。
縁側の軒に提げた鈴が、風の吹く度ちりんと音を立てる。
じっとりと、汗ばむ陽気だった。
相も変わらず水干姿の娘は、顔をしかめて木々を見上げる。
「もうとっくに彼岸は過ぎたぞ?」
忌々しげに――というよりは、拗ねるような口調で言う。それを聞いて苦笑混じりに男の方が答えた。
「まあ、こういうこともありますよ」
「全く、もう暦は秋だというのにな」
鈴は一向に鳴らない。
京は盆地、夏の暑さ厳しく、冬の寒さは文字通り凍えるほどである。特に夏は、湿気の強い気候が身体に堪える。からりと晴れ渡っているならともかく、じっとしていても玉のような汗が滴り落ちるほどの暑さが襲ってくる。
肌を灼く陽光から逃れても、熱を多分に含んだ大気が京中を包んでいた。
要は、この暑さから逃れる手立てはない。
「そんなに暑いなら、打ち水でもします?」
暑さが防げないと言うのなら、少しでも涼しくなるようなことを考えるものだ。
目で見て涼むもの、音を聞いて涼むもの、「涼」を感じられるものがもてはやされるようになる。
「いや、ここでやってもそんなにきかぬだろう」
「それはそうですね。――それにしても本当に暑いですねぇ。ここは結構日影も多いし、そんなに暑くなることもないんですけどねぇ」
実にのんびりとした口調で言う。その声にはあまり切実な響きはない。
「保胤。本当に暑がっているのか?」
娘の方が疑わしげに尋ねる。
確かに簡素な直垂姿で、暑さをだいぶ凌げているようではあるが、それにしてもそこまで暑がっているようには見えない。
「そりゃあ、暑いですよ。でもまあ、一応道士としての修行を積んでいますし、大抵の事には耐えられるようになっているんです」
と、事も無げに言う。
蝉時雨は止まず、差しこむ陽光の威力も衰えていない。
恨めしげに中空を睨んでも、その暑さは一向に引くことがなかった。
「夕方になれば少しは涼しくなりますよ」
「夕方になるまで暑いという事なのだろう?」
娘の方が溜息を吐いた。悩ましげな所作には無意識にも色香が漂うが、あけすけな動作は童のそれに近い。水干の袖をまくると、白く細い腕が露になる。
男がつと視線を逸らす。それには気付かぬ様子で、娘は手に持つ衵扇で風を送っている。
「仕方ありませんよ、夏ですから」
「もう秋だろう」
「――そうですね」
あっさり言って、男が立ちあがった。
「そろそろですかねぇ」
「何がだ?」
尋ね返す娘に、なんだか楽しそうな様子で答える。
「ちょっと待ってて下さいね」
言って、草木をかきわけて林の奥へと入っていく。
顔に疑問を浮かべたまま、娘は縁側で座って待つ。
暫しして、男が林の奥から戻ってきた。手に、何かを提げている。すかさず娘が尋ねた。
「保胤、なんだそれは」
「瓜です。井戸で冷やしておいたんですよ。食べますよね?」
「もちろんだ」
にっこり笑って瓜を掲げる男に、娘の方も笑い返した。
相変わらず蝉時雨が降り続く。
ちりんと一声、鈴が鳴いた。
一周年記念。
のわりに当日書き上げたってどういうことでしょうね。
何にもやるつもりなかったんですが、まあこういう時にでもやっとこうかなと思い直しまして。
もう一年経つんですねぇ。
細々と自己満足で適当だったから続けられたんでしょうね。
多分、この後もずっとのんびりマイペースで行くと思います。
この一年の間にいらしてくださった方に感謝を込めまして。
02/08/17 初書