身内の不幸





 人生における暇というのは、如何程の意味を持つのか。
 さてそれは価値観によるとしか答えようもない。
 ある者にとっては何ら意味を持たざるものであり、またある者にとっては人生における最重要事項とも言うべき質を持つ。
 ことほどさように、その意味は広く幅を持っている。

 ではこの男の場合はというと――




「暇だね」




 相も変わらず、朱雀門の内、大内裏は陰陽寮。
 気温こそ依然高い日々が続くものの、そこはかとなく秋の気配が漂う時期になっている。朝夕の涼しさもその感を一層強めていた。
 秋というのは春に並び、過ごし易い季節の一つである。
 暑さ寒さ、双方厳しい京に限らず何処の地でもほぼ同じであるが、やはりその夏冬と比べると、京では格別な感慨をもって迎えられる季節であるということは否めない。
 とはいえ、まだまだ昼の間は陽光照りつける夏の暑さは衰えていない。




「はぁ」




 仲秋に入ったというのになお残る暑さに辟易しつつも、清良は兄の言葉に曖昧に頷いた。室内にまで日光が降り注がないというのが救いである。
 日向と日影では感じる暑さが大分違う。
 しかし、清良の真向かいに座した兼良は、暑さを感じさせぬ余裕の笑みを浮かべている。何故かなどとは考えない。この兄だから、というのがおそらく一番正答に近いのだろう。




「っていうか、兄上、こんなところにいていいんですか?」




 得業生が役職の空きを待つ待機職とはいえ、それは決して暇なものではない。
 清良の上司であるところの安倍晴明を見れば自ずと知れること――とはいえ、晴明の場合は少々特殊であるが。兎に角、「暇だ」などと言っていられる立場にはない筈だ。




「清良。今の刻限は午の刻。先程鐘が鳴っただろう」




 にこやかな表情を微塵も崩さず、手に持つ扇をぱちんと鳴らして兼良が言う。




「いえそれは分かってますけど」
「分かり切った事を言うものでないよ、清良」
「……………………はあ」




 そこはかとない理不尽さを覚えながらも、清良は渋々頷いた。
 この兄に逆らって碌な目にあったことがないというのは、嫌というほど思い知っている。




「ああ、そういえば」




 至極のんびりと――不自然なまでの自然さで、思い出したように兼良が呟いた。
 人の好さげな笑顔を崩さぬままに、




「そろそろ例の物がきれかかっていたね。――清良、暇なんだろう?」
「いやあの、別に暇ってほど暇なわけじゃ」
「こんなところで呆けているぐらいだから、暇でない筈はないだろう」




 言いかけた清良の言を、物の見事に遮り兼良が続ける。




「何、大したことじゃあない。少し手伝ってもらうだけだよ」




 にっこりと微笑む兄に逆らおうものなら何が待っているやら。
 致し方なく、清良は逡巡の後に頷いた。




「あっ、兄上ぇぇっ! ここここれ…………っ」
「薬の材料がどうか?」




 ――この男の場合、暇なことそれ自体はさしたる意味を持たない。
 が、そこに付随する愉悦の結果、不幸な人間が出るということだけを述べておく。




 再録。
 と、ちょっと修正。兼良さんの口調がいまいち掴めてないのが丸分かり。
 清良君に対しては丁寧語じゃなかったと思うんですが。


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